湘南ねぶたの歴史

湘南ねぶたは1997(平成9)年より運行しています。


長年、湘南ねぶたの運行に携わった、湘南地域振興会の大久保隆氏(故人)は、湘南ねぶたの始まりを次のように懐述しています。

それは地元の長老と皆で酒を飲み交わしてるときに始まった。平成7年は阪神大震災から始まり地下鉄サリン事件がおこった年で、亀井神社の節分祭の立ち上げ、ウミガメ剥製の探訪、日本大学湘南キャンパスのお花見開放、東大阪との地域活性研究懇談、日大藤沢の甲子園出場による応援活動、六会駅駅名変更の諸手続き等いろいろとあり、とにかく地元の皆さんと飲むことが多かった。その中で長老から投げかけられた。「この辺りは大きな祭がない。馬鹿踊りでも何でもいい、車を通行止めにして何かひとつ驚くようなものをやったらどうか。」と。「そうですね、何かやりたいですね。」と皆答えた。年を越し、その後もそんな話が何回か持ち上がった。よし、やろう。
で、何をやるか。どうせやるなら日本でトップクラスのものがいい。よさこいか、阿波踊りか、山車・曳山か、神輿か、七夕か。……… みんなで力を合わせられるものがいい。作り上げられるものがいい。そういうことをやっていくうちに絆が深まる。目に見えないものの大切さがわかる。達成感が味わえる。いろいろと考えているうちに、ねぶた囃子がふと思い浮かんだ。
生来の桜狂いである私は、桜を追いかけてよく歩く。5月あたりは東北・道南を巡り歩いているが、弘前城の桜は日本一だ。その年は本丸から見える岩木山の後ろを染めながら日が沈み、反対側から満月が昇った。とにかく青森の桜は手入れがよく綺麗だ。そんな北の春を彷徨いながら花見の宴で聴いたねぶた囃子の律動と音色が体と耳に残っていた。
そうだ、ねぶたがいい。そう言ったところ、「俺、青森の出だよ。」と朋友の佐藤が答えた。そうか、よくぞ青森で生まれてくれた。それは都合がいい。すぐその夏、5人のメンバーで青森に飛んだ。もちろん、佐藤の実兄がすべて受け入れ態勢を引き受けてくれた。いざ青森観光協会へ。ねぶた初日の一番忙しい最中、専務理事の佐藤さんが会ってくれた。なんとか湘南へねぶたをもって行きたい。答えは「難しいでしょう。」、だがそれで、ああそうですかと言う訳にはいかない。きょうは玄関からだったが、次は勝手口からということもある、と諦めはしなかった。そうこうして秋も深まるころ、何回も観光協会へ足を運んでくれていた朋友の実兄から、ついに助言・協力を得られたという知らせが届いた。翌年の花咲く春、青森市篠田町を訪れ具体的な打ち合わせをし、その夏の青森ねぶた祭本番には当方のものも参加し篠田町の皆さんと一緒にねぶたを曳くこと、青森の本番が終わったら直ちにそのねぶたを11t車2台で運ぶこと、当方での催行には青森より人的な指導・応援も得ることが約束された。その間、何人もの方に何回も「本当にやるのか。」と言われた。心配してくれているのはよくわかったが、やるしかない。
手筈が付いてからというものは湘南ねぶたの説明をするため各所をまわり、国道を含め車両を止めること、路線バスの運行を変更すること等、お願いして歩いた。自治会の皆さんにご理解いただくよう大型スクリーンでねぶたを体験的に見る会も開いたりもした。なかには何のために、いつまでこんな説明会をやっているんだと言って怒って帰った方もいたが、囃子を引き受けていただいたり、その囃子に使う太鼓の台車は作っていただいたり、踊りの振り付けしていただいたり、ねぶた本体を引き回す青年と出会ったりと、徐々に盛り上がって行った。
かくして平成9年8月23日湘南ねぶたの初日を迎えた。その日は朝から準備に追われ、前日からおいでになり傷んでしまったねぶたを補修していただいていた篠田町の皆さんにも満足に対応できないほど忙しく、時間は過ぎて行った。運行2時間前、やり残していることを次から次へ片付けながら街を奔り回るが、思ったより人が出ていない。1時間前になっても、人出がない。ねぶたの飾りつけに手落ちはないか。スケジュールの確認をもう一度。若い者は集まったか。警備は整ったか。時間は容赦なく迫ってくる。「15分前です。」の声に確認表にずっと遣っていた目を上げた。そこで見えたのは歩道から落ちんばかりの人、人、人だった。どこから急にこんなに涌き出してきたのか。それを考える間はなかった。午後7時ちょうど、勇壮な囃子と共に巾6m・丈4mの湘南ねぶたが駐車場から一般道へ出た。その瞬間、感激が走った。とうとうやった。
とかく人は華やかなところだけに目が行く。そして目立つところに立ちたがる。だが目に見えないところに大事なものがある。井戸を掘らなければ水は飲めない。根っこがなければ花は咲かない。そういうことを青年に、子供たちに体でわかってもらいたい。ねぶたを作る人がいて、事前に支度をしてくれる人がいて、ねぶたを見ることのできない路地で交通警備を引き受けてくれる人がいて、自分のできることをそれぞれがやることによって、この祭は成り立っている。